眼をあけているなら常に景色は存在するが、『きれいな』景色を選んで描く。
これはつまり、女なら美人がいいと言っているも同然だ。
さらにいえば、普通の人が『きれいだ』と思うのと同じものしかきれいに見えていないという、芸術家としての大きな欠落でもある。
まして、現実を美化して描くとなれば、それは現実の否定、現実逃避である。
それはイコール自己否定でもある。
世界を否定することは、自分を否定することである。
『きれいな』絵を見て感じる、暗さや弱さは、その現れである。
そうではなく、
自分を肯定し、世界を肯定する。
これがピカソの原則だったのだろう。
草木が花を咲かす。へんてこな花もたくさんある。変な形や色。虫や魚もそうだ。でも生きている。
ピカソが絵を産み出す。これも花や虫と同じ。きれいも汚いもない。ただ、ある。
これがピカソの原則だった。