要するに、悟った人はどのように暮らすのか、ということが書かれています。
ここを読めば、鎌倉新仏教以降の日本仏教がブッダとはだいぶかけ離れていることも分かるし、ブッダの教えていたことがいわゆる宗教ではないことも分かるし、救うとか救われるとかいう話もしてないことがわかります。
この短い慈しみの節の冒頭に、「能力あり」という言葉が出てきます(中村元先生の翻訳によれば)。
さて、能力ありとは?
スリランカ等に拡がっている上座部仏教では「身体も心も健康で」と言っているそうです。たしかにそうですよね、と思います。
しかしながら、スッタニパータの対象としているバラモンや富豪たちのことを考えれば、健康ということだけでなく、権力や財力のことも含まれるだろうと考えられます。
つまり、前回の記事に書いたように、「思い上がれるだけの能力」ということです。そのような立場にある人間が悟るのだし、悟らないと他人の迷惑になるのだ、と。