2018年02月04日

よくぞ人間に産まれたものぞ。にんげんっていいな

人間は死ぬ。
甘い蜜を吸って満足を感じても、それは変わらない、逃れられない真理である。甘い蜜でごまかしている場合ではない。

──
トルストイはそんな東洋の寓話を引用して、人生の無意味さにぶつかった。
『成功すること』を是とする西洋の哲学を持つ人間にとっては、大きな苦しみであろう。
成功すること、勝利することに、意味がないとしたら、いったい何のために生きているのか?
そういう結論になるのは理解できる。

勝ち抜いて勝ち抜いて、選ばれし者として人間に産まれた。
次はこの人間界で勝ち抜いて、また何者かになる、という考え方だが、その先はただ死あるのみで、何者にもなれず、何も残すことはできない。
自分は死に、自分に影響を受けた者や救われた者もやがては死ぬ。いつか人類も死に絶える。
何も残らない。

生きる意味がない、との結論に至る。


東洋の哲学に当たり前に染まっている私としては、そもそも勝ち抜いて人間として産まれた、なんて思ってない。
ただ運である。縁である。
前世の行いがよかったなどとする宗派もあるだろうが、それは社会秩序を維持する方便であり、真実ではない。


富や名誉といった社会的成功の甘い蜜がある。
この蜜に魅力を感じなくなり、社会的死となる。

愛情や芸術といった精神的充実がある。
この蜜に魅力を感じなくなり、精神的死となる。

トルストイは、この二つの死に直面し、人生に意味を感じなくなった。

最後に、息して食べて飲んで寝る、という肉体的な充実がある。
この蜜に魅力を感じなくなっても、やめることは難しい。やめれば肉体の死となる。これがいわゆる死である。


人間として産まれたからにはどう生きるべきなのか、と考えた場合、上記の社会的成功や精神的充実を挙げがちである。

しかし、社会的成功は動物の世界にもある。
愛情や遊びも動物界にある。
当然、肉体的充実も動物界にあるのだが、人間特有なのが、わざわざ料理をして美味しくすること、心地よい寝具を追求することである。
これは人間が他の動物より身体的能力が劣っているために発達したのである。歯や顎が弱いため、毛皮を身にまとってないためである。
それらマイナス面を補って余りあるプラスなのである。


お年寄りがいう。

「もう食べることしか楽しみがない」
「温泉に入るのが人生の楽しみだ」


エンディングが近くなってやっと分かる。
人間として産まれたからにはどう生きるべきなのか?

息して食べて飲んで寝る。
これを充実させることしかないんだと。

基本的欲求にこそ、ありがたみがあるのだ、と。
基礎が大事なんだ、なにごとも。


食事そのものを楽しむ。
お風呂そのものを楽しむ。
睡眠そのものを楽しむ。


トルストイの言うとおり、別に何も残らない。
まあ、そういうものなんだ。



いいないいな、にんげんっていいな
おいしいおやつに、ほかほかごはん
あったかいふとんで眠るんだろな

ぼくも帰ろ、おうちへ帰ろ

でんでんでんぐりがえって、バイバイバイ

──
こんな風に人生を楽しみ、そして死ぬのがいいんだろうな。

食事、お風呂、ふとん。
みんなあったかい。
当たり前に思ってるところだから、ありがたみを感じにくいし、おろそかにしがち。
充実させていかないと。
せっかく人間やってるんだからね。

親鸞の本意は分からないけど、「よくぞ人間に産まれたものぞ」ってこんなことかもしれないと思ったよ。


そして、おうち(あの世)に帰るときは、バイバイバイって明るいノリでね。


posted by TT at 13:29| Comment(0) | ツキを背負ったカモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月03日

体の大きさによって発想も好みも変わる説

中国人旅行客が言うわけです、日本はいろいろと小さい、狭い、低いと。
確かに、もし日本人という民族がアメリカ人みたいに大きかったら、家は大きく造るし、ベッドも大きくなるし、天井も、扉ももっと高く造るし、道路は広く造るし、車も大きくなる。街の外観が変わる。

そしたら、
日本のコンパクトカーは産まれてない。
狭小住宅を建築する技術も産まれてない。

家が広ければ、収納術とかも必要ない。

店や工場とかの造りも違うから、おそらくロボット化がもっと速く進んでいた。


日本の特長って日本人の特徴で、日本人の特徴って体が小さいことなんだ。


日本は経済大国になったけど世界のリーダーになれない。
と、言われ続けてきた。

実は、それは体が小さいからなんだ。

たぶん、首相や外相に背が高い人がなったら、リーダーシップ発揮する。



人の心や感情って、ものすごく肉体に左右されるものだと思ってるけど、思ってたよりずっと根本的な話かもしれん。
結局、人間のボトルネックは自分の肉体で、肉体の制約のなかでやりくりしていくんだな。
それが運動機能とかの話に留まらず、ずっと深いところまで肉体の制約や影響を受けてるんだな。


中国人旅行客に限らず、日本人でもそうなんだよ。体の大きい人、背の高い人は、日本の住宅を狭く感じてるし、靴はサイズがなかなか無いし、ズボンは短いんだよ。サウナ屋さんとかのロッカーは小さいし。車も狭い。

で、不思議なのは、日本で流行るものにあまり興味が持てないんだよ。日本でしか流行らないものがあって、それに興味が持てない。これが不思議なんだ。

でも、体の大きさの違いが、その人の好みにまで影響を与えるのは、充分あり得る話だよ。
日本でしか流行らないものってのは、体の小さい人向けのもので、大きい人は対象外なんだな。


posted by TT at 13:40| Comment(0) | ツキを背負ったカモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

勝者を尊敬するのをやめよう

尊敬する人は誰ですか?
そんな質問がある。最近は少ないかもしれないけれど。

この質問に、多くの人が歴史上の人物や現代の成功者の名を挙げる。

しかし考えてみれば、歴史上の人物のことなどよく知らないんだ。成功者の普段の暮らしなんか知らないんだ。

ただ有名だから名前が上がる。
有名なのは成功者だからだ。
つまり、何かに勝利した人間だからだ。

従って、『勝った人』を尊敬する、ということになってしまっている。

これは、勝てばいい、ということになる。
そして、自分も勝ちたい、ということになる。

これはさもしい。
さびしい。
つまらない。


なぜならば、勝っても勝ってもキリがないからね。勝つことばかりを願って生きても苦しいだけだと、いまは分かってる人が多い。

徳川家康の「人の世は重き荷を背負うて遠き道を行くがごとし」じゃないけど。

だから最近は、「尊敬する人は誰ですか?」なんてあまり聞かれないけれども、でもそれに代わる価値観が無いように思う。


かつての若者は、金はないけど夢はある、だった。
いまの若者は、金もないし夢もない、だ。

でも、本当は、お金も夢も、そんなには大事じゃない。絶対視するほど、神聖化するほど大事じゃない。

尊敬する人は誰ですか?
将来の夢は何ですか?

こんな質問はしてはいけない。
答えられない子供は、答えられないのは悪いこと、間違ってることだと思って、嘘をつく。
そして、自分がついた嘘に苦しむことになる。勝てない自分に自信が持てなくなるんだ。
そもそも99%以上は社会的成功者にはならないからね。

「そのままの君でいい」なんて言われても価値観がなかなか変わらない。
『このままの自分』でどうやったら勝てるかを考えてしまう。弱みを強みに変えるんだ、とかいって。


勝つことは面白いんだ。
みんな勝つことは大好きなんだ。
だけどそれは人生の目標じゃない。


それよりも克服の『克つ』が大事だ。
自分に打ち克つ。腐らずに立ち向かう。

勝利を目指して打ち克つんじゃないよ。敗者が復活してヒーローになるなんて話じゃないよ。それは感動するけどね。

いうならば、生きることに打ち克つ。
孤独と一緒に打ち克つんだ。
孤独は味方だ。孤独を強く感じるとき、まさに自分の個性が発揮されてるんだ。

怖いんだ。不安をごまかしたくなる。慰めてくれる人を求めてしまう。

ごまかさずに、そのまま突き進む。

そんな人を尊敬する。


posted by TT at 10:55| Comment(0) | ツキを背負ったカモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする