2020年08月30日

「離れる」という解決法

ブッダの知恵の中に、離れる、という方法がある。
これは単純だけど効果の高い方法だ。

ブッダの教えの肝は、怒りは身体に毒だよ、ということ。
だから、怒りが生じても消せればいい。
しかし、なかなか難しい。
それなら、怒りの原因に近づかなければいい。

単純。

うち断捨離しました、というテレビ番組で、子供がたくさんいて、忙しくて、片付かなくて、、、というお母さんが出ていた。
なにを断捨離するのだろうか。
まさか、子供を?

と思ったけど、番組では、子供や夫を断捨離することはなく。
しかしブッダがいうのはそういうこと。
出家せよ、とはそういうこと。
夫を、子供を、家を、断捨離すればいい。スッタニパータに出てくる富豪ダニヤの話だ。

世間体、常識、世の中いろいろある。
しかし、これまで自分の人生の支えになっていたはずの世間体、常識について、よくよく考えてみなければならない。
人の意識空間は、広いようでいて、実のところ狭くて固い。俺が持ってる世間体や常識なんてものにとらわれていてはいけない。



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2020年08月25日

ブッダは「感謝せよ」とは教えない

感謝とはどのような感情なのか、それをよくよく考えてみれば、嬉しいことがあった、何か誰かが期待に応えてくれた、つまりは自分に都合のよいことがあった、という感情だとわかります。
そして、願わくばもう一度お願いします、という気持ちも込められています。

ブッダは、執着するなよ、と教えます。

喜びは、執着の元だよ、と教えます。

だからブッダは、「何事にも感謝しなさい」とは教えません。

ただ、足ることを知りなさい、と教えます。

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2020年08月21日

スッタニパータ『慈しみ』、能力ありとは?

スッタニパータの慈しみの節は、ある意味でゴールのビジョンとも言えることが書かれており、とても重要な節であると思います。

要するに、悟った人はどのように暮らすのか、ということが書かれています。
ここを読めば、鎌倉新仏教以降の日本仏教がブッダとはだいぶかけ離れていることも分かるし、ブッダの教えていたことがいわゆる宗教ではないことも分かるし、救うとか救われるとかいう話もしてないことがわかります。 

この短い慈しみの節の冒頭に、「能力あり」という言葉が出てきます(中村元先生の翻訳によれば)。
さて、能力ありとは?

スリランカ等に拡がっている上座部仏教では「身体も心も健康で」と言っているそうです。たしかにそうですよね、と思います。

しかしながら、スッタニパータの対象としているバラモンや富豪たちのことを考えれば、健康ということだけでなく、権力や財力のことも含まれるだろうと考えられます。

つまり、前回の記事に書いたように、「思い上がれるだけの能力」ということです。そのような立場にある人間が悟るのだし、悟らないと他人の迷惑になるのだ、と。


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