2018年02月08日

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか?
という本があって、10年くらいまえに読んだんですが、いまだに覚えていることがあります。この本から得た教訓です。

それは、

小さなミスが原因で大事故に至る、
ということです。
 
より詳しく言うと、普段から何かしらの小さなミスがあるんだけど、それで別に何も起こらないから放置してしまうんですね。
ミスとすら認識されないような、ルーティーンやマニュアルから外れた行動なんだけど、まあ、いいや、と。
でもそのミスが原因で、ある日、大事故に至るんです。
これが不思議なところで。
大事故は大失敗から生じるんじゃなくて、日常茶飯事の小さなイレギュラーが原因なんだ、と。


たとえば今年の第52回スーパーボウル。
ペイトリオッツのDB陣のタックルが前半は甘かった。しっかりと相手を捕まえずに、ぶつかるだけのタックルになっていた。
普段はそれで止められるし、止まらなかったとしても、結果として勝ってきた。

ところがスーパーボウルでは、そのミスとも呼べない甘いタックルのせいで、ほんとに1ヤードとかを余分に進まれて、イーグルスにファーストダウンを許し、またビッグゲインを許してしまっていた。

後半はきれいなタックルになり、きちんと止めて、余分なヤードを稼がせないように直していたのはよかったけど、結果としては相手に追い付くことは出来なかった。


本に書いてあったのは、ちょっと正確な数字は忘れたけど、そのミスとも呼べないイレギュラーを300回とか繰り返すと、一度大きな事故に繋がってしまう、というくらいの確率というか統計だそうだ。

たしかに、「まあ、いいや」としてしまうほど低い確率だ。


少し話題が逸れちゃうかもしれないけど、経営がガタガタになってる会社はミスが多くなるんだ。
危ない話だけど、航空会社で、部品が飛行中に落ちたとかそういうのがあるけど、経営がうまくいってないときは頻発するんだよ。それはある日、大事故に繋がることもあると思う。

それで、逆から見ると、大事故が起きたときってのは、普段からイレギュラーが横行していたんだ、ってことなんだ。そして経営や運営がガタガタだってこと。

長距離バスの事故が数年前にあったけど、あれも、運転士の酷使が日常化していたし、それだけ経営がギリギリだったよね。

最近、米軍の事故が相次いでるけど、これも同じだと思う。統制が取れてない証拠。組織がガタガタになってると思う。なんかトップ人事が揺れ動いてそうだもんね。


家庭でも会社でも、イレギュラーを看過してはいけないんです。
気を付けてやっていきましょう。

posted by TT at 11:16| Comment(0) | ツキを背負ったカモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

世の中は変化でできている。買いたい株も1年で変わる

人は変化が嫌いだが、世の中は変化し続ける。

変化は時と共にある。
変化イコール時の流れ。
変化が時間を生み出している。

人が変化が嫌いなのは、死に向かっているから。

さて、約1年前と比べると、株式市場もがらりと変わった感があります。
まず、株価水準が大きく変わりました。高くなりました。
そして何よりも、私が成長企業だと考える企業の顔ぶれが変わりました。つまり、一時的かもしれないけれど、成長が鈍化した会社や業種がありますね。

企業経営ってのはそんなもんで、毎年一定の収穫が期待されるものでもなく、不作の年が何年も続いたりするものです。

上場企業の株価は、豊作のときは上がり、不作のときは下がるという何とも非情なものです。


すべては変化です。
得たものがあれば失ったものがあり、負けたときにも獲たものがある。勝利すれば少なからずハングリー精神を失い、敗北すれば次なる道が見つかる。

消滅、破壊、死。これらも含めての変化です。


保有株の株価が上がって含み益が増えるのはうれしい。
しかし次の投資先を見つけるのもまた楽しい。

いま持ってる株に固執してはならない。
保有株の値上がりをただ祈るだけの投資家になってはいけない。それはいかにもギャンブラーだ。

世の中は変化する。
あわせてポートフォリオも変化させないといけない。

変化は死に向かうことだが、変化しないのは死である。

posted by TT at 10:58| Comment(0) | 株式投資関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

たとえば絵画で死を表現するならば。

絵画で死を表現するなら、どうしたらよいか。
もちろん、これといった正解は無いだろうからひとつの思い付きを書くだけだが、
たとえば死体を描けば死を感じるのか、というと、それは違うように思う。

鳩の死体の写真を見たら、人は「かわいそう」とか、あるいは「気持ち悪い」とか思うだろう。
これではまるで伝わっていない。

戦争写真で民間人が死んでいる写真があるが、あれを見て、むごい、ひどい、かわいそう、怒り、悔しさ、そういった気持ちを抱くと思う。
これも、鑑賞者は自身の死については考えないだろう。


自分の死に対する不安、恐怖。
身近な人の死に対する恐怖、喪失感。
そういうものを、どのように描いて伝えるか。

マークロスコの絵を見ると、気が滅入る。
ただ、キャンバスに色が塗ってあるだけだ。
なのに、気が滅入る。暗くなる。なにか得体の知れないものを感じる。

彼は、死や悲しみを描いていた、と言う。

たしかに表現されている。

『悲しみ』というものは、存在はするが、形は見えない。
『死』もそうだ。死体は物質だが、死は概念や定義だ。


画家は見えないものを描く。

と誰かが言った。

喜びや楽しさも同じ。
形はない。
だから抽象表現になる。
抽象的なことを表現するための抽象絵画。

面白い。

写実絵画でも、感情や観念が伝わるものがもちろんある。
しかしそれは、そのリアリティーのためではない。色や線の組合せかなにか、リアリティー以外の要素から伝わるものなのだろう。

面白い。


posted by TT at 21:49| Comment(0) | ツキを背負ったカモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする